2024年10月5日(土)
- 朝の富平から仁川へ
- 松月洞童話村
- 仁川チャイナタウン再び
- 日中両租界を分ける石灯籠の階段
- 仁川旧日本人街再び
- 仁川アートプラットフォーム
- 仁川で冷麺
- バスで月尾島(ウォルミド)へ
- 月尾島(ウォルミド)の海岸をちょっと散策
- 富平駅でミスカルラテ
- カンジャンケジャンビビンパ
- 名残の富平伝統市場
- 空港までの遠い道のり
- 旅のおわり
朝の富平から仁川へ
ゴルフ練習場ビューの朝。カーテンを開けたまま寝落ちしたら、まだ明けない真っ暗なうちに練習場がオープンし強烈な照明で目が覚めた。

ネット越しに富平駅手前の線路が見える。

チェックアウトの準備をして8時ちょうどに2階の朝食会場へ下りたらトレイを取るまでが大行列。どんなおかずがあるか写真だけでもと思ったが諦めコーヒーだけいただいてチェックアウトした。

荷物を預かってもらい、ホテル前。右隅に見えているのが富平駅。本当に交通至便。ただしソウルへも仁川国際空港へも微妙に遠い。

駅へ向かう途中、ホテルと駅の間に線路に架かっているであろう歩道橋があった。

フェンスに阻まれちょっと撮りづらかったが、線路は多く列車の本数も結構多く眺めていて楽しい。

富平駅は逆光でゴーストだらけに。

朝の富平駅前。

富平駅とショッピングモール。この時はまだいまいち構造を把握していなかった。この建物のド正面にある大階段を上がって行ったが、ショッピングセンターにあるエスカレーターで楽にも上がれると後で気づいた。

階段を上がるとKORAIL京仁線(+ソウルメトロ1号線)のホームがある。

改札の前に24時間営業の焼き肉屋さん?食堂があった。

ホームへ。


朝8時過ぎに都心とは逆へ向かう列車はガラガラだ。

またもや快速東仁川行きだったので、一駅手前で降ろされてしまう。

東仁川(トンインチョン)。

タワマンが見える。

各停仁川行きはわりとすぐ来た。

終点仁川駅到着。

松月洞童話村
昨日は夜の仁川を、今日は朝の仁川を散策する。

昨日も見た牌楼。

牌楼をくぐり中華街への坂を上り始める。

が、今日の第一目的は中華街ではないので、すぐに左折し住宅街を歩く。ちなみにチャイナタウン路26番ギルという路地だった。

昨日の夕方、車がたくさん入って行った公営駐車場はここだった。



趣のある外壁だと気になったが・・・「원룸(ワンルム)」・・・ワンルームか!

海の方向を望む。所々に伝統家屋的な屋根。


ここにも立派な教会があった。


丁字路に突き当たってしまったので住宅街散策は終わりだ。

街灯がヒマワリで可愛い。

海の方に大きなロジ系の建築物が見える。サイロだろうか。


チャイナタウンのメイン通り、チャイナタウン路に戻ってしまった。

牌楼に背を向け先に進む。


駄菓子屋さん然としていい。

まだチャイナタウンの一部の趣があるが、目的地へ到着。松月洞童話村の入り口を示すアーチ。

仁川情報を調べていて目に留まった町。高齢化が進み荒れていく町を復興させようと、メルヘンなウォールアートや装飾で町おこしを図っている地区だそう。傾斜の厳しい町を復興させようとする努力は釜山の甘川洞文化村やヒンヨウル文化村を思い出す。住民の皆さんの合意をどのくらい得ているかという実際の数字はわからないが、少なくとも(日本よりは)連帯する国民性を感じる。(まぁそれは韓国ドラマを見ていても十分感じますが・・・。)
参考資料
アーチのそばのお宅はさっそく可愛い。

アーチのある通りは後で通ってくることにして、一つ隣の通りから歩くべく一旦横路地へ。




この辻から坂を上がってみる。

横路地。

普通の家屋もカラーリングが可愛く思える。

大きな木の滑り台。


坂の上の方を向くと強烈な逆光なため、振り返って撮る。

こちら側、ずいぶん長くウォールアートが続いていた。

街灯の装飾も可愛いし、電柱もなかなか手が込んでいる。

塀の向こう、瓦こそ緑だが伝統家屋のようだ。

歓迎光臨の文字。観光客多いんだろうなぁ。

アラ○ちゃんのようなキャラだ。翻訳にかけたがよくわからなかった。亀とか「Rium」とかあるので、この辺で海をモチーフにしたウォールアートの背景ストーリーか何かだろうか?




この通りはまだもう少し先へ続くが、横路地からメインそうな通りへ戻ることにする。

Googleストビューによれば2015年現在はまだこの海中のアートはないですね。

この街灯も可愛く装飾。


釜山でもそうだったが、坂の町には暮らしを支えた井戸が整備されて保存されているのをよく見る。

今下ってきた路地。

童話の村に黒猫が現れた。

一目散に逃げて行った。


自我を持つ燭台。

坂の頂上まであと少しなので行ってみる。

振り返る。立駐も賑やか。

これは一種のデザインマンホール。우수(ウス)は雨水のようだ。

坂の上まで来た。

海岸のサイロと、向こうに見えるのは空港のある永宗島の高層アパート群のよう。


あの高架のようなものも何か港湾施設だろうか。それとも月尾島海列車の高架?

可愛い街灯が並んでいた。

では、この松月洞童話村のメイン通り(と思われる)を下っていく。

飾り瓦が美しい。

さっきは歩かなかった横路地。

おっとなんだろうこれは。「트릭아트 스토리」はそのまま「トリックアートストーリー」だったので、トリックアートミュージアムか何かだろう。

裏手にはロシア正教会みたいな玉ねぎ屋根。

この路地もアートがいっぱい。


撮影スポットがいっぱい。



もう一つ井戸。

横路地は建て込んでいる。




入口のゲートまで戻ってきた。

仁川チャイナタウン再び
童話村のゲートのところから左手へ行けばチャイナタウン。

街灯も童話村スタイルからすぐさまチャイナタウンスタイルに切り替わる。

いくつかある(であろう)チャイナタウンのゲートのうちの一つ。大きな牌楼の他に、チャイナタウン路の南北の端にこんなゲートがあった。

食事中の黒猫発見。

逃げないので、さっきの黒猫ではないようだ。


教会の多いお国柄、前を往くのはシスターさん。

道の両脇とも中国風を意識した店構えになっている。



カーブのところにはジャジャン麺の元祖と言われる共和春。昨夜は通りの向こう側から見上げた。

台湾のお菓子のお店。この牛軋餅は大好物ですよ。

非常に観光地然としていてまるでテーマパークのようだが、悪くない。

チャイナタウンのランドマーク的階段。

上までは行かずちょっとだけ階段を上がる。


チャイナタウン路を先まで、昨日も歩いたが今日も歩く。



振り返るとこんな感じ。


昨日も覗いた横路地。



京劇の説明パネル。


昨夜も見たカトリック教会。

昨日も見た近代建築っぽい建物。

町が今の形になった頃(戦後)からありそうな家並み。


そしてもう一つのゲート(プチ牌楼)まで来た。チャイナタウンは一応ここで終わり。

この先は「旧日本人街」。

昨日も歩いたこの街は、後でまた歩きましょう。

日中両租界を分ける石灯籠の階段
昨夜ちらっとだけ見て、今日もまたじっくり見たかったのはこの階段。

この一帯に広がるかつての中国人租界(1884年制定)と日本人租界(1883年制定)はこの階段で分かれていたそうだ。

こちらが日本風。

鹿さんも彫られた春日灯籠。隣は雲・・・だと思う。

こちらは中国風。

昨日の繰り返しになるが、国家遺産庁のサイトを翻訳にかけてみてもこれらの灯籠がいつ建立されたかはわからなかった。境界線自体の遺産登録は2002年、「この階段自体の価値は少ないが」とあったので建てられたのは比較的近年のことではないかと思う。(違っていたらすみません。)
参考文献
上がって行くにつれ海が見えてくる。


てっぺんまで登っていく。孔子像が海を見つめる。右手にはお寺。カラフルなランタンが可愛い。



石段のてっぺんは普通の住宅街のようだったが、三国志にまつわる壁画が延々続いているようだった。地図を見ると先ほど松月洞童話村で坂を上がり切ったところの道が小高い山を巡るようにずっとここまで続いていた。


よく見たら街灯も日本風・中国風で左右違っていた。

じっくり眺めて、満足。

仁川旧日本人街再び
では、昨夜も歩いたShinpo-ro(新浦路?)27番ギルから旧日本人街を歩く。

古い建物と、日本風に改装したらしい建物が混在している。



こちらは国家登録文化遺産No. 567の「仁川旧大和組事務所」。現在はカフェで、KBSワールドの「韓国の街歩き」でもここが紹介されており、旅人MCのイ・マンギさんが長崎カステラとお汁粉を味わっていた。

番組ではかつて日本の荷役会社であり、階上は作業員の住居で当時100人もの人が寝泊まりしていたと紹介されていた。建築様式には「마치야(町屋・町家)」の字幕。この説明版にも商業施設と住居を兼ねた日本のアパートメントスタイルであることなどが書いてある。

日本でも登録有形文化財には青銅のプレートが掲げてあるが、同様のプレートが韓国の登録文化財にも。

まだ朝早いので開いておらず、お店の方が庭木の手入れをされていた。
往時からの建物に教会が隣接。

日本でいう看板建築の21世紀海外版?表側だけコンセプトに沿わせたと思われる建物あり、と不思議な折衷さを見せるこの通り。


日本語だ。



昨夜も見た、区庁舎の塀に掲げられた仁川の歴史パネル。

大仏ホテルの説明もある。日本語はない。


日本をはじめとした各国の租界の説明。

近代建築遺産も建物ごとに説明があった。

かつての仁川の姿。

足元にもパネル。

昨日も読んだ、政治家であり抗日活動家であるキム・グ氏の回顧。

この辺りで旧日本人街は終わる。はず。

横路地で隣の23番ギルへ。23番ギルをまたチャイナタウン側へ戻ることにする。


昨日とは逆向きに歩く。まずは旧「第五十八銀行」。

お次は旧「十八銀行」。現在は仁川開港場近代建築博物館だそう。

「旧日本第一銀行」。現在は仁川開港博物館。ドームがあり、これぞ近代建築といった感じ。


QRコードを読み取れば日本語の解説も聴ける。


間もなく23番ギルも終わり。チャイナタウンとの境目。

大仏ホテル(復元)。


仁川アートプラットフォーム
大仏ホテルのある23番ギルの一つ海側、Jemullyang-ro(濟物梁路)232番ギル。一つ通りが違うだけなのにもう大仏ホテルを見上げている。町全体の傾斜がきつい。

ここから海側に向けての一画が「仁川アートプラットフォーム」だそうだ。レンガ造りのいくつかの建物が文化施設の集合体を構成している。
この通りは裏側。


一方こちら山側、旧日本人街の裏手。大仏ホテルのお隣さんのようだがよくわからない。大きな模型はKORAILの1000系という古い車両らしい。


何かこう、親しみを感じる形状の石の蔵。

石の蔵の表側は旧日本第一銀行。敷地が階段で繋がっているしフェンスで囲まれているし、付帯の建物ではないかと思う。

1883年は仁川開港の年。

レンガ造りは続く。


ここで隣の路地を引き返す。

隣の路地=仁川アートプラットフォームの本体。

仁川アートプラットフォームは2000年にオープン。リノベされた何棟ものレンガ造りの港湾建築物が並んでいるが、参照する資料によって棟数はまちまち。
このページが一番興味深かった。マップもあるし、何せ「トッケビ」のロケ地だったことをこのページで知れた。
参考文献

中でもこちらの建物が気になった。

「東方運輸株式會社」。この一帯全体が大変綺麗にリノベされているので古さは感じないのだが、

1902年に建てられたらしい。(写真は新しいようだが。)

敬意を表し正面から。

土曜日だというのに朝早いからか人が少なくじっくり散策できてよかった。






そして最後に見えてきたのは昨夜も見た旧日本郵船株式会社仁川支社の建物。現在は仁川アートプラットフォームの一部。


背後の大仏ホテル(復元)とも相俟って、映え(バエ)る。

旧日本人街巡り終了。中華街要素に戻る。仁川駅界隈=現在進行形で華人の末裔の生きる中華街であって旧日本人街は歴史の名残の小さな一画にすぎない。
チャジャン麺のオブジェ。昨晩食べられて良かったです。

この一帯は仁和門という史蹟だそう。

そして韓中文化館。

この建物はいい。

漁網に海を感じる。


歩道いっぱいに広げた網を繕うお母さん。踏んでいきなさいというジェスチャーをされたがこんな綺麗な網踏めるわけもなく挨拶しながら避けて通った。

仁川で冷麺
ネトフリで見た「チャジャン麵讃歌」という番組では、中国に由来し韓国に根付いた麺としてチャジャン麺の他にもう一つ、チャンポン麺も紹介されていた。しかもチャンポン麺は名前が日本語のちゃんぽん由来だというから、なんとも国際都市仁川に似つかわしい・・・と思いながらどうにもさっぱりしたものが食べたくて、冷麺の看板が出たお店に入ってしまった。

お昼前の店内。私の他にはお父さんが一人何かクッパ系の定食を食べていた。

ムルネンミョン₩10,000。昨日食べたジャジャン麺は₩6,000だったから、同じ麺一杯でお値段ちょっと違うのだなと思ったら、後でググるとソウルの冷麺相場はもっと上がっているそう。

そして出てきたムルネンミョン。スープがとにかく美味しくて、牛肉もどんな部位なのか歯ごたえがあるのにコラーゲンのような。食べ進めて無くなるのが惜しかった。

テレビCMにイ・ビョンホン。韓国にいることを余分に実感。

バスで月尾島(ウォルミド)へ
冷麺に満足し、チャイナタウンを離れる。


仁川駅前。訪ねたかったエリアはさくさく歩けたので時間に余裕がある。


仁川の駅の向こうというか、仁川港の前というか、すぐ目の前に月尾島(ウォルミド)という島がある。今は地続きになっており、このビルから「月尾海列車」という観光モノレールが走っていて月尾島を一周できるそうなので行ってみた。
が、ネットでは予約しないと結構待つような情報も見たし、一階のエレベーターに既に行列ができていて即諦めた。

バス停へ向かう。

月尾島の中心部(?)か、観光地らしきところへは仁川駅前から10番と2番のバスで行けるとのことで、すぐやって来た10番バスに乗った。
しばらく月尾海列車のレールと並走する。


さっき松月洞童話村から見えたピンクのサイロ。

解せない。북성포구(北城浦口)と書いてあり地名を示しているようだが、てっぺんにいる💩は一体・・・?


しばらく最前列に座っていたが、進行方向左側でこのサイロを見たくて席を変えた。が、モノレールの高架に遮られた。モノレールからならよく見えるんだろうね。

なおこのサイロはギネスに認定されているそうだ。
参考記事

月尾島(ウォルミド)の海岸をちょっと散策
10番バスはGoogleマップの示すルート通りに走り一安心。島の、建物が集まっているところで下車してみた。まんま「月尾島」というバス停だったようだ。

ホテルなんかも点在し、それなりに観光地のようだ。

明るい中にも、海際独特の潮に晒された色彩感。


広い公共(多分)駐車場・・・はそんなに車で埋まってはいない。その向こうに月尾海列車の駅が見える。日本語訳を探すと「月尾文化通り駅」とか「月尾文化街駅」とか。

そして反対側を振り向くと、海岸沿いに長~く整備された遊歩道が「月尾島文化通り」だそう。

記念碑があった。ここはマッカーサー将軍率いる仁川上陸作戦の3つの地点最初の上陸地、グリーン・ビーチだった。

今は家族連れや若者が行き交う憩いの行楽地になっていた。空港のある永宗島の高層アパート(マンション)群が見える。


永宗島へ渡れるフェリーが出発を待っていた。



乗れなかった月尾海列車が頭上を走って行った。


遊歩道の脇には海鮮レストランが多かった。店先でお母さん方が手招きする。

乗り込んでいく乗客さんたち。


チケット売り場。

引き続き先へ。



カモメに餌をあげる人たち。そういえばさっき、駐車場前の商店にやたらえびせんが売られているのが気になったんだった。



防波堤に釣り人の姿。


永宗島から本土へ渡る橋。


野外ステージのようなところからは歌声が響く。


あれ、また💩・・・?
でも説明を読むと、2016年に6,000人もの中国人団体観光客がここでチキンとビールのパーティーをした記念だそうで、どうやらこれはビールの泡らしい。

その時野外ステージから聞き覚えのある曲が流れてきた。一瞬困惑したが、しばらく聞いてそれがTUBEの「ガラスのメモリーズ」であることに気づく。ググると、2001年に韓国でカバーされドラマの主題歌として相当認知度が高いらしい。
この辺りで引き返す。遠くに観覧車が見える。


毛づくろい月尾島猫。


先ほどのフェリーが去ってすぐ、別のフェリーがやってきた。

車載フェリーだった。

ところで真下の防波堤には観光客が落とすえびせんがたくさん落ちていて、ネズミが岩陰から出入りしていた。
階段通りは途中から退出、バス停に戻る。ここはMy Landという遊園地だそうで、先ほど遠くに見えていた観覧車とはまた別の遊園地なので、観光モノレールもあるしこの小さな島を行楽の島にという強い意思が感じられるが、今のところ日本でいうところの昭和感に満ちている。


棟数は少ないが、古い長屋のようなアパート?店舗兼住居?の並んでいる一画を見た。



いずれこの辺りも再開発されてしまうんだろうか。

バス停に向かう途中に見た建物。

古風なモーテル。

空き店舗になってしまったようだ。

街角でよく見かける、古めかしいコーヒーの自販機(LOTTE)。

バス停に着いた瞬間仁川に戻れる2番バスが来たので急いで乗り込み、あっという間に仁川駅前。


月尾島への小さな小さな旅、終わり。

富平駅でミスカルラテ
さらば仁川駅。


これまたKORAILの全然違う車両だった。



向かいのホームに入ってきたのは、なんだかちょっと日本の国鉄色を連想させられた。京仁線かメトロか調べてもよくわからない。

さて、20分ほど各停に揺られて富平駅に戻ってきた。ロッテマートの入る富平ショッピングモール、改札階からひとつエスカレーターを上ると結構規模の大きいフードコートがある。

フードコートだけれど、カフェが結構多くてカフェ好きのお国柄を感じる。

韓国版の回転寿司を目撃できて嬉しい。お寿司を重ねる発想はなかった。


またカフェ。

このお店なんて特に種類豊富で、このフードコートにさえいればいろいろな韓国料理が食べられそうで、この後駅の外で遅いランチにありつけなかったらここにしようと思っていた。フードコート、侮れない。



ここもカフェ。

回転寿司もう一店舗。

富平駅改札近くの「A TWOSOME PLACE」というカフェで、入り口に「ミスカルラテ」という文字を見て興味を持った。

カウンター確保。

初めて飲んだ「ミスカル(ミスッカル)」。ミスカルとは数種の雑穀を粉末にし溶かした飲み物だそう。雑穀だけあって香ばしく、きな粉ミルクのよう。飲み応えというか、食べ応えある飲み物だった。


カンジャンケジャンビビンパ
仁川のグルメ情報を検索すると、中華街のジャジャン麺、東仁川には冷麺通りやスンデ通り、富平市場ではカルグクス屋さんが多いなどなかなかの庶民派美食の町だという。その中でまだ食べたことのないカンジャンケジャンのお店が特に気になった。富平にも多く、日本人の方も何人か行かれているブログやレビューが見つかるが、一人で行かれたという情報はそう多くはない。
NAVERマップはアプリで開けば自動で翻訳してくれるし、レビューに”一人飯にいいです。”という項目がある。その条件で探したこちらのお店「パプドドゥクカンジャンケジャン」。※今のところGoogleマップには登録なし。

昨日のうちから偵察していた。一人でも入りやすそうな定食メニューのあるランチタイムは3時まで。店名は「ごはん泥棒カンジャンケジャン」という意味だそう。

入ったのは2時頃なのですいていた。

左下の枠内がランチメニュー。

オーダーしたのはカンジャンケジャンビビンパ、₩10,000。

パンチャンたち~。豊かな食卓。

カンジャンケジャンは殻から出されて乗っていた。一品料理としてのカンジャンケジャンを見ると殻ごと出てきてビニール手袋で食べているようだが、初心者なので少量でご挨拶。「ご飯泥棒」の異名通りきっちり美味しくて、いつか他の皆さんのようにお酒と一緒にわしわし食べたいものだ。
スプラウトや刻んだえごまも爽やか。ただただ美味でした。

名残の富平伝統市場
お店を出たら目の前は住宅地の中の公園。子供が遊び、お年寄りが井戸端会議。
富平を発つまであと少し、腹ごなしにぶらぶらしよう。

結局夜の様子は見なかったが、この辺は盛り場な感じ。

大通りを渡り、適当に富平伝統市場方面へ向かって歩く。昨日の「ハタネ」といいなんだかこの辺は日本食屋が多い気がする。こちらRamenとSobaのお店。

ゆきもち。

麵屋はなび。

スポーツ用品店の前には、そらもう韓国はパドレス推しだね。

昨日通った富平文化通りの端をかすめた。

富平伝統市場到着。

何で見たか忘れてしまったが、この市場の口コミで「パッタイが美味しい」などやたらパッタイパッタイ書いてあるのが気になった。こういうことか・・・(この屋台は人が群がっていた。)

韓国の豊かな市場のすがた。またしばらく見納めです。


もっといろいろなものを食べればよかった。



これは・・・蚕!(生)

小さな小さなお店。




市場を離れ、種苗屋さんの前。

地下街への入り口も活用されていて、逞しい。

落花あめ。黒あめ。

カラフル。

名残惜しい、富平駅前の風景。秋空が爽やかすぎる。




空港までの遠い道のり
荷物をピックアップし、空港まで1時間半くらいかかるところを余裕をもって早めに富平を離れた。が、仁川地下鉄1号線とソウルメトロ1号線(=KORAIL京仁線)を間違え、ソウルに向かってしまっていた。昨日から何度か使った路線に無意識に向かってしまっていたようだ。しかも座って即寝てしまったものだから気づくのが遅れた。

気づいたのは駅谷(Yeokgok)という駅だった。

富平に戻り、昨日最初に富平に降り立った仁川地下鉄1号線の駅を探す。導線はとてもわかりやすかったです。



終点桂陽(ケヤン)駅行きに乗ればOK。

ところが、また寝ぼけて思わず慌てて一つ前の駅で降りてしまった。止まる駅の次の駅名も言ってくれるのに釣られてこれまでも一つ前のバス停で降りてしまったことがあった。

ちなみに橘峴(Gyulhyeon)という駅だった。

駅の外は終点近い場所らしさ。のどか。

後続の列車に乗る。

終点まで一駅。

余裕を持って富平を離れたので、桂陽駅でトッポギなんか食べられたらななんて思っていたが、あてが外れた。すぐに空港鉄道に乗り換える。


空港鉄道はとても混んでいて車窓を眺める隙間もなく、仁川国際空港到着。

旅のおわり
セルフチェックイン、バッグドロップ。結構混んでいる。

ゲート多くね!?

フードコートに行ってみたが大混雑なので諦めた。


端っこのゲートでだいぶ歩いた。こんな辺境まで来たので一軒だけあったレストランがあまり混んでおらず、時間があれば入りたかった。なおコンビニは長蛇。


夕暮れの空港。

3つだかのゲートが扇形に並ぶ本当に最果てのゲートだった。

搭乗。慣れないものを食べてお腹に不調をきたした場合のためにチェックインの時に通路側の席に替えておいたが、結局なんともなかったのでこれなら窓際でもよかったかな・・・。かなり前の方の席で早く降機できたが、荷物が遅かった。

さようなら、仁川・・・。

軽い機内食。

ニンニクの塊かと見誤ったが、エリンギだった。

まぁ、韓国の国歌にも歌われる海だし多少はね・・・。

ただいま関空。

荷物が遅いのなんの。そして特急の本数も少ない。
向こうに見えるのはキティちゃんはるか。

ラピートこんな青かったっけ?

ミャクミャクだった。

■Flight:OZ116 ICN-KIX